あなたはこんな体験ありますか

もう何十年も会ったことないのに

何十m先の通りから

あの人がこちら側を見ている

もちろん遠すぎて顔は確かには見えない

なのにあの人と確信している

 

また別の日に別の人のこと

電車の中でもうあの頃とは別の顔なのに

目と目が合い

瞳の表情であの人と分かった

でもお互い気づいたふりもせず

そのまま別れた

 

どこまでが本当で

どこまでが勘違いなのか

確かめるすべもない

予感

人の転機というものの予感はある。所詮他人事だから冷ややかに見ているからだ。とどめる理由を探さず手を差し伸べないのは運命には抗えないというある種勝手な理由だ。また人には人の領域があり勝手に立ち入る事はできないということもある。翻って自分の事は分かっているようでいて未だに分からない。感情に左右され冷静な判断ができないことやとことん踏み込んで考えることにブレーキがかかることだ。判断の先送りで心が壊れることを防いでいる。心を乱さずフラットに、薄氷を踏みつぶさないような心持ちの生活をして人生をやり過ごしている。

におい

いつの頃か嗅覚が鈍くなりよっぽどの悪臭でもないと鼻が効かなくなった。

食品が腐ったかどうか嗅ぎ分けられないと生活にも支障が出る。

都会暮らしで人工物・化学物質に囲まれ野性の勘が働くなったためだけでなく、加齢の影響が大きいのだろう。

匂いに鈍感になったおかげで鈍感力が養われ、若いころのように匂いで何かを警戒することがなくなった。いいことか悪いことかはわからない。敏感すぎると警戒心が強くなりすぎて疲れてしまうしな。

そう思ってたのになぜか最近締め切ってエアコンをかけている自宅の部屋に入ると一瞬におう。つまり換気が必要なレベルで。これは余程生命の危険のアラームが鳴り響いているということか。閉め切りの部屋は換気に気を付けよう。

還暦祝い

昨夜は久しぶりに家族5人が揃い還暦祝いをしてくれた。話が弾みにぎやかだった。今日は昨夜泊まった娘と妻とで実店舗に行きカバンを子供たちからプレゼントしてもらった。

30年前は父の還暦祝いを孫(自分の甥)を含めて祝った。30年もあっという間である。ということを息子に言った。

機会があればまた集まりたい。

若き日

人生何度目かの引っ越し先を探すがなかなか迷って見つからない。

しきりと思い出されるのが親元を離れ住み始めた木造アパート。薄暗い急階段。風呂無くトイレ台所洗濯機は共同。お金無くて部活動で大量に汗をかいても銭湯に毎日は入れなかった。調理はブロパンガスの一口コンロにマッチで火をつけていた。暖房器具はこたつだけ。冷房器具はどの家にも無い時代。それと比べれば今となってはどんな物件だってほぼ風呂台所はあり洗濯機置き場だってある。

そこには5年間住み続けた。幼き日々が原点なら第二の原点があの時代。

がんばれ自分。若い自分に励まされている。

やはり季節といえば寒さが和らぎ暖かくなるとともに順に季節の花が咲き木々の枝に若葉が映える春。

でも周りは華やぐのに置いてきぼりになった気がして寂しい。

 

気温が上昇するとともに身なりが軽装になり、全身にまとわりつく空気まで軽くなったような夏。暑さで思考停止し、深い悩みが遠ざかったような夏。若いころには苦手だった夏がいつの間にか好ましいものに変わりつつある。

 

春とともに好ましい気候の秋。収穫の秋、食欲の秋、読書の秋。しかし収穫する畑も果樹も今は持ってないんだよな、残念。また収穫、落葉とともに終末感がある。

 

そして冬。郷里の四国の山中は必ず雪が積もり冬は雪とともにあった。12月の積雪こそ数年に1回ほどだが、1月2月はそこそこ積もる。雪解けの光が射す障子戸も印象的だった。その後瀬戸内の平野そして関東平野に住む今はほとんど雪とは無縁だ。果たして今年は積雪があるのか。

あといくつ寝ると春が来る?と春の訪れを恋しがってるこの冬こそ自分には相性がいいのかもしれない。